夜中のかたゆでたまご
はじめて彼が現れたのは私が中学生の頃だから、ずいぶん長い付き合いになる。試験がせまっていながらどこから手をつけていいか見当もつかず、ノートに落書きばかりが増えていく夜だった。こつこつと窓を外からたたく、かたい音がした。窓を開けるとそこにナマケモノがいた。
それ以来、ナマケモノはやってくる。決まって夜遅く仕事中、集中力が切れかけてきた頃に。
ナマケモノというのは木の上で一生のほとんどをすごす動物で、何かからぶら下がっている時は重力で下に引っぱられているだけになんとか格好がつくが、地面におりてしまうと全くだめらしい。とけかけのゼリーのようにずるりと窓から入りこんで来て床の上にボットリと落ちると、決まっていう。
「あるかな、水?」
そして、おっくうそうにコンビニのビニール袋からゆでたまごを二つ出すと一つ私に手渡す。もそもそとしたかたゆでたまごをそろって無言で食べ、水で飲み下すと、彼は私のせなかをぽんぽんとたたいて満足そうに黄色い歯を見せてわらい、
「いいね」
という。
一度、ゆでたまごの誘いを辞退したことがあった。ナマケモノはひどく落ち込んでしまって、もともと床におちている座ぶとんのようなのが、ない肩をがっくり落とし、あまりに哀れだったのでそれ以来断れずにいる。
ナマケモノはたいてい二、三十分私の部屋ですごすと、また窓からずるんと出て行く。ただ無言で週刊誌の最新刊を本棚から引っぱりだして読んでいくときもあれば、話題になっている有名人のゴシップ話をしていく事もある。彼の言うことはたいていがテレビのコメンテーターの受け売りだ。しかし、訪問がしばらくないと気にかかる。水も、カラフェに入れて部屋に常備しておくのが習慣になってしまった。
私の部屋を出てナマケモノがどこに向かうのかは知らない。いつだったか頭にカーラーを巻いたまま来て、なにかそわそわしていたことがあったので聞いてみたが、「おつとめ」とか「さんしゃめんだん」とかぶつぶつ言っただけだった。
暗闇に消えていくナマケモノの後ろ姿を見送ると、私のやる気は最後のひとしずくまでどこかにいってしまい、仕事が残っていてもかまわずベッドに入ってしまう。 次の朝後悔するのを知りつつ。かたゆでたまごの後味だけが残る。
そんなふうにナマケモノはやってくるのだ。